シャネルは強烈な個性のブランドです。そのデザインセンスは決して真似のできない作品です。
シャネルの創始者である、ココ・シャネルは19世紀に生まれました。彼女は、20年生まれるのが早すぎた、とよく話していたそうですが、きっといつの時代に生まれてもココ・シャネルは不動の最先端に位置していたに違いありません。シャネルというブランドは、今から10年ほど前に日本でも大流行します。当時シャネルで全身を着飾っていた人をシャネラーと呼ぶほどの人気でした。異常なほどの大ブームの後、人気は去りましたが、やはりシャネルのブランドはいつの時代も一流です。シャネルは、女の人の気持ちをしっかりと掴んで離しません。コレクションごとに人々を楽しませてくれるブランドです。このシャネルには深い歴史の物語があります。ココ・シャネルの生誕からカール・ラガーフェルド以降のシャネルまでの歴史についてお話したいと思います。
1883年8月19日、フランス西南部ソーミュールの救済病院で、父アルベール・シャネル、母、ジャンヌ・ドゥヴォールの、行商人の次女としてガブリエル・シャネルが誕生します。(通称ココ)
1895年、当時12才でガブリエル・シャネルの母が死亡。父にも捨てられ、姉ジュリアと一緒に孤児院に預けられることになります。
1900年、当時17才、ガブリエル・シャネルの叔母、アドリエンヌとムーランの寄宿学校に入ります。
1901年、当時18才、ガブリエル・シャネルはムーランで衣料店のお針子と働きます。
1909年、銀行家の私生児、イギリス人のアーサー・カベルに出会います。
1910年、当時27才、パリのカンボン通り21番地に、カベルの出資で帽子店シャネル・モードを開店させました。この年、ガブリエル・シャネルはアーサー・カペルと恋仲に発展します。
1913年、当時30才、カベルの出資でフランス北部ドーヴィル中心街に、最初のモード・ブティックを開店させました。場所はゴントー・ビロン通りです。そこでは帽子のほかに、開襟シャツ風の上着やウエストを絞らないデザインのスカートなどを並べました。そしてトリコット地を使用してスポーティーな服を作り、シャネルのマリンスーツがここで生まれました。
1916年、当時33才、リゾート地であるビアリッツにメゾン・ド・クチュールを開店させます。
ジャージー素材の服がアメリカ女の人の間で大人気を呼び、シャネルの服がハーバース・バザー誌に、この年初めて掲載されました。
1921年、当時38才、ガブリエル・シャネルは香水、シャネルNo.5とシャネルNo.22を発表します。
この頃の恋のお相手だったディミトリ大公の影響で、ロシア風なものに興味を持ち、毛皮、刺繍などを取り入れたモードは、ロシアの香りが漂っていました。
1924年、共同出資者であるピエール・ヴェルタイマーとともに、パルファン・シャネル社(シャネルの香水会社)を創立。社長に就任します。
1925年、シャネルのユニセックス・モードが発表され、モード界では黒いドレスが流行になります。
1928年、当時45才、カンボン通り31番地にお店を移転します。
ツイード素材のシャネル・スーツを発表し、ツイードはスコットランドで特別に織り上げられたものがこの時使用されました。
1929年、シャネルNo5の売り上げが世界一になります。
1935年、当時52才、年間に28,000点もの作品を世界各国で発表しています。シャネルの従業員数は4,000人に達し、シャネル黄金時代となります。
1939年、当時56才、第2次世界大戦の勃発で、アクセサリー部門と香水を残し、カンボン通り店を閉めます。
1944年8月25日、パリ解放後にココはジュネーブに向かいます。
1950年、当時67才、あの有名なマリリン・モンローが、寝るときはシャネルのNo.5を着て寝ると言う名言を残した年になりました。
1954年、当時71歳、15年ぶりにメゾンを再オープンさせます。シャネル・スーツを再び発表し、カムバックコレクションはアメリカのファッション各誌の特集になります。
1955年、ガブリエル・シャネルはモード・オスカー賞を受賞。この年、シャネルの定番、マトラッセ・バッグが誕生します。
1957年、当時74才、バイカラーの靴が発表されました。
1970年、当時87才、香水シャネルNo.19とプール・ムシューが発表されました。
1971年1月10日、ココ・シャネル急逝。87年の生涯を静かに閉じました。
1974年、オード・トワレ、クリスタルが発表された年になります。
1975年、シャネルのスキンケア用品、化粧品などが発売されます。
1978年、プレタポルテ専門、シャネル・ブティックを世界各国でスタートさせました。
1983年、シャネルの主任デザイナーに就任したカール・ラガーフェルド。モンテーニュ大通り42番地に2番店をオープンさせます。香水ではガーデニア、ボワ・デ・ジルが発表されました。
1984年、ココ・シャネルを追悼した香水が発表されました。その香水がココです。
1987年、ウォッチ・ブティックを開店させます。場所はモンテーニュー大通りになります。
1990年、女性用リストウォッチ、マドモアゼルが発表され、男性用オード・トワレではエゴイストが発表されます。そしてウォッチ・ブティックを開店させました。場所はパリのヴァンドーム広場になります。
1993年、シャネルのジュエリーコレクションが発表されます。
1994年、女性用のリストウォッチ、マトラッセが発表されます。
1995年、シャネルが大人気になり、日本市場ではシャネラーブームになりました。
1996年、女性用の香水、アリュールが発表されます。この香水は若い女の人向に作られました。
1997年、ムートンのトートバッグが日本市場で大人気となります。
1998年、未来型バッグ2005が発表されました。
1999年、旅行用アイテム、ナイロン素材の、初代トラベルラインが発表されます。同時に、チョコレートバー・マトラッセバッグも発表されました。
2000年、シャネルの主任デザイナー、カール・ラガーフェルドが日本に初来日します。
2003年、カール・ラガーフェルドのデザイナー就任20周年の年になります。
2004年、12月4日に銀座店が開店しました。
2005年、定番のカンボンラインに、パイソン柄のCCマークが登場し話題になります。
ココはこう語りました。美しさは女の人の武器、装いは知恵、謙虚さはエレガント。
パリのシャネル本店、カンボン店は現在も営業しています。